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くうちゃんの病気のこと その⑧

メラノーマ闘病記 ~ 安楽死の是非・奇跡の始まり

末期癌 安楽死について考える 

12月18〜21日


食欲がないはずのくうちゃんでしたが、この間はびっくりするくらい食べました。
私を安心させようと思って食べてくれたのかな。

美味しそうに食べている姿を見ると、生きてくれていることの尊さを実感し

一日でも長く生きて欲しい、一秒でも長く一緒に居たいとの思いが沸き起こります。

 

 

一方、癌による痛みや苦しさが尋常ではないことは知っていましたので

癌による痛みや呼吸困難等でくうちゃんの苦しみがあまりにも激しくなるようなら、

安楽死も含めどのような選択が良いのか?ということを考えていました。

 

痛みや苦しさのあまり昼夜鳴き叫んだり、暴れ回ったり、飼い主に噛みついたり・・・

そんな状況に陥るケースがあることも聞いていました。

 

私自身が癌に冒されていたとして、

痛みや苦しさのあまり鳴き叫んで、暴れて、家族に殴りかかるような状況・・・

 

まさに地獄だと思いました。

 

ヒトも動物も、本能的に「生きる」ことを求めるのだと思いますが

上記のような地獄に陥ってしまったなら「もう終わりたい」と思うのではないかと。

 

日本においてヒトに対する「安楽死」は認められていませんが

ワンコに対しては可能だそうです。

 

これはあくまでも私個人の考えですが………
苦しみを耐え抜いた先に少しでも希望があるのなら、

頑張ることの意味を見いだせる気がしますが、

死が目前に迫っていて、助かる見込みが皆無で苦しみがあまりにも激しければ、

地獄を早く終わらせてあげることも悪くないのではないかと。


このことは何度何度も病院の先生や家族と相談してきましたが、

当然容易に答えは出ませんでした。

 

「くうちゃんの命の長さを私が決める」という責任


もしもくうちゃんに対して安楽死という決断をするのなら、

これから先の私の人生を、その責任を背負って生きていく覚悟。

私がこの世を去るまで背負う覚悟。
これが飼い主の責任なのかなと考えていました。

 

 

くうちゃんは、腎不全や尿毒症の症状が出始めていましたが、

幸いにも呼吸状態は比較的安定していて、癌性疼痛もないように見えました。

私に重い責任を負わせずに済むように頑張ってくれていたのかもしれません。
弱々しいながらも毎日笑顔を見せてくれていました。

 

 

奇跡


12月22日

 

くうちゃんが元気な頃は、私のお風呂を脱衣場で待っているのが毎日のルーティーンでした。


この日、もうひとりでは立ち上がることも出来なくなっていたはずなのですが、

私がお風呂から上がるとリビングに居たはずのくうちゃんが脱衣場で待ってくれていました。

 

どうやって歩いてきたのか?
家族の誰にも目撃されずに…。


未だに謎です。

くうちゃんが起こした奇跡としか思えませんでした。

死期を悟ってくうちゃんが奇跡をプレゼントしてくれたとしか・・・。

 

この日からくうちゃんの奇跡が連続することになるとは、この時は夢にも思いませんでしたが・・・。

 

 

 

 

家族写真


12月23日


ご飯もおやつも、果物もケーキも
何も口にしなくなりました。

水だけがぶ飲みしていました。


夜、くうちゃんを囲んで家族写真を撮りました。

小雪さんだけがクソ真面目な顔で!

 



泣いて、笑いました!

 

 

 

※ 次回に続く ※

 

【くうちゃんの病気のこと その⑨】

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